平成20年7月12日掲載

今回は江南市の光圓寺、犬山の先聖寺、善光寺、吸江寺、常福寺の5カ寺を紹介します。
順不同。     

〔取材協力〕(株)松屋佛壇店

永源山 善光寺(えいげんざん ぜんこう じ) 天台宗(単立) 本尊 一光三尊阿弥陀如来 
犬山市犬山北白山平4番地39 0568(61)0405 
当寺は昭和3年、永井善永氏により建立され、長野県善光寺の分身を本尊として奉安された。その後、大東亜戦争のため一時衰微したが同32年、再興の奉灯が掲げられ本堂を改修。自動車の参拝道路も敷かれ、延べ160坪あまりの大庫裏が完成した。本尊の一光三尊阿弥陀如来を真ん中に、右に聖観世音菩薩、左に勢至菩薩が立ち、三尊が1つの光背に収まっていることから一光三尊佛といわれ、善光寺如来型式・善光寺佛型式とも呼ばれている。毎年8月17日には木曽川河畔で精霊送り灯ろう流しが盛大に行われ、ことし51回目を迎える。

●萬祥山 常福寺ばんしょうざん じょうふくじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 聖観世音菩薩
犬山市北大門30 0568(67)1167 
当寺は元亀4(1573)年、織田信長に従い槇島城攻めで宇治川渡河の先陣を務めた武功により、信長から馬を賜ったという楽田城主梶川弥三郎平高盛公を開基とし天正6(1578)年、父高秀公の菩提を弔うため龍林庵として大圓智圓和尚を開山に迎え、現在地の北に建立。後に、浄福寺と改称した。安永2(1773)年、尾張大風水害で浄福寺が流出。同4(1775)年、隠居所であった現在地に遷座し、萬祥山常福寺と改称された。山門は楽田城裏門の移築と伝えられ、境内の枝垂桜は毎年4月上旬に見ごろを迎える。

●神護山 先聖寺(しんござん せんしょうじ) 黄檗宗 本尊 聖観世音菩薩
犬山市犬山南古券48 0568(61)1289
当寺は延宝4(1676)年、上州黒滝山不動寺潮音道海大和尚を勧請開山に拝請。その弟子玉堂大和尚を開基に建立、熊野山先聖寺と称した。博学大徳な玉堂大和尚の下には参禅する者も多く、蕉門四哲の一人、丈草も多大な影響を受け、出家までしたといわれる。境内には「ながれ木や篝(かがり)火の空の不如帰(ほととぎす)」の句碑(昭和28年建立)がある。正徳乙未(1715)年、来鳳和尚により現在地に移転。享保13(1728)年、仏殿を東向きにし大間口を街並みに替えたのが現在の門である。平成16年2月、「三級浪高魚化龍」の禅語にちなみ登り口・柱・天井と3段の龍を配し、儒教・道教・仏教の三教一致の根拠地となるべく、黄檗風・二層平屋木造建ての本堂が建設された。

●臨川山 吸江寺(りんせんざん ぎゅうこうじ) 臨済宗妙心寺派 本尊 十一面観世音菩薩
犬山市木津宮前28番地 0568(61)3306
当寺は古書に、無領地で建立年月は不明とある。これは、木曽の流れの奥より流出する木材が集まる所ということから地名を木津といい、いかだを取り扱う人が事故で亡くなることも多く、これを哀れみ人々が小さなお堂を作って供養したのが当寺の始まり故である。また、木曽川の水を一気に吸い尽くす、すなわち無一物、無尽蔵な心を表し寺名を吸江(ぎゅうこう)と称した。貞享4(1687)年、吸江庵を再興し徳授寺から台巌和尚を招じて開山とした。その後、荒廃や無住の時代を経て明治38(1905)年に吸江寺と改めたが、大正元(1912)年の暴風雨でかやぶき屋根の本堂・庫裏が倒壊。同8(1920)年に村民一体となって建物を建立し現在に至る。

●塔塚山 光圓寺(とうづかざん こうえんじ) 真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来
江南市古知野町塔塚132 0587(55)0389
当山開基船戸計義住職は昭和9年6月、一宮市正高寺の衆徒として得度。同22年、報光寺衆徒となり江南市古知野町に転居。同24年8月、報光寺の副住職となる。同27年、現在地に報光寺出張所として「説教所」を開き同36年8月、光圓寺(信徒259人)の設立を公告。同37年10月15日、宗教法人「光圓寺」成立に至る。その後、庫裏の新築や書院の移築を行い同53年4月、本堂の新築工事に入り同54年10月28日、本堂落慶法要を執り行った。平成3年9月には、船戸昭善住職が代表役員に就任した。

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