平成19年7月14日掲載



今回は江南市の真成寺と長幡寺、犬山市の陽徳寺と専念寺、扶桑町の白雲寺、大口町の本光寺です。順不同。 





〔取材協力〕(株)松屋佛壇店

朱日山 陽徳寺(しゅにちざん ようとくじ) 臨済宗妙心寺派、本尊 大日如来 
犬山市善師野寺洞 TEL(0568)61-4193 

当寺は平安時代末期から鎌倉時代にかけ真言宗の寺院として創建されたと考えられるが、慶長10(1605)年と明暦元(1655)年の再三の山崩れにより堂宇のほとんどが倒壊。旧寺院の遺構は残っていない。その後、青龍山瑞泉寺の嶺宗和尚を中興開山に臨済宗妙心寺派の寺院として善師野の熊野山中段(現熊野神社境内)に再建され、享保10(1725)年、現在地に移転。 大日堂を建て本尊の大日如来座像を安置したが安政6(1859)年、火災により全焼。幸い、本尊は無事搬出され翌年大日堂は再建された。(現在は老朽化により撤去)同座像は鎌倉時代初期の制作とみられ、昭和54年に犬山市の文化財(彫刻)指定を受けている。

一部山 光明相院 専念寺(いちぶざん こうみょうそういん せんねんじ 浄土宗(総本山知恩院)、本尊 阿弥陀如来
犬山市犬山西古券262番地 TEL(0568)61-0590
当寺は弘治元(1555)年、織田家の家臣であった20歳の池田勝入斎信輝公が家来の手引きにより、夜陰に紛れて犬山城を奪取し信長公に献上した折り、当寺を池田家の菩提寺と定め開基となり、叔父に当たる讃譽故念上人を開山上人に迎えたと伝えられている。その後、犬山城主となった小笠原吉次公、尾張徳川家初代義直公の付け家老・平岩親吉公一族の菩提寺として処遇された。本堂(間口8間・奥行き7間半)は寛文12(1672)年、庫裏は元禄2(1689)年の建立と県内で4番目に古く、江戸中期の浄土宗寺院の典型的遺構を残す。境内は楠の大木に囲まれ、西には伊木山に沈む夕日と、木曽の清流を望む。

●小林山 本光寺しょうりんざん ほんこうじ 真宗大谷派、本尊 阿弥陀如来
大口町外坪5-173-1 TEL(0587)95-3659 
創建年月は明らかではないが、天正年中(1573〜1591)とされている。敬傳法師を開基に、現在の住職は17代目に当たる。元来は、本田所(本郷)にあったが、元禄3(1690)年に新田(現所在地)に移転したとされている。天保2(1831)年、火災により本堂や寺宝を焼失し、現在の本堂は、明治の初めごろ建立され平成2(1990)年には屋根の葺き替えを行っている。

●金常山 白雲寺(きんじょうざん はくうんじ) 臨済宗妙心寺派、本尊 聖観世音菩薩
扶桑町高雄米ノ山42 TEL(0587)93-1008
当寺は慶雲3(706)年、文武天皇(697〜706)の世に真言宗の寺として寺澤増彦太夫(後に白雲八藏と改名)により創建されたため、白雲寺と呼称されている。その後約800年を経て、永正9(1512)年2月に賊火により観音堂だけを残して堂宇一切を焼失。大永6(1526)年、覚王寺の友峯和尚を開山に再建され、臨済宗に改宗した。本尊の観世音菩薩像は御丈1尺9寸2分で、尾北継鹿尾山の千手観音と一木両体の尊像だということである。

●経蔵山 真成寺(きょうぞうざん しんじょうじ) 真宗大谷派、本尊 阿弥陀如来
江南市東野町河原69 TEL(0587)55-1016
当寺は元亀2(1571)年、僧東正により中島郡林野村に創建され後に、同郡船橋村に移転。初め東正坊と呼ばれたが7代目覚善の時、真成寺と改められた。宝暦7(1757)年9代目諦教の時、当時無寺だった東野村への移転が庄屋岩田吉右衛門を中心にまとまり、移築され現在に至る。創建より436年、当地に移って250年を経過。濃尾大震災で前本堂が倒壊し、明治35(1902)年に現在の本堂を再建。昭和43(1968)年に納骨堂を建立、平成12(2000)年に本堂の瓦葺き替えなどの整備事業が行われた。

●勅願山 長幡寺(ちょくがんざん ちょうばんじ ) 真言宗豊山派、本尊 不動明王
江南市赤童子町白山89 TEL(0587)55-2517
当寺は平安時代の仁寿2(852)年、慈覚大師の草創と伝えられる古刹で、南北朝時代に南朝の皇運長久祈願との思し召しにより、錦の長旗を掲げたことから勅願山長幡寺と称しその後、天正12(1584)年に空範上人により中興された。本尊の不動明王と脇侍の制多伽・金伽羅の2童子を安置し、地名の赤童子は制多伽童子の赤い姿に由来すると『尾張名所図絵』等に記されている。境内の観音堂は蓮命寺ともいわれ、尾張西国三十三観音の28番札所。槍ヶ岳開山の播隆上人筆の「南無阿弥陀佛」の石碑が建ち、奈良県にある牡丹で有名な長谷寺の末寺。伊勢湾台風で倒壊した本堂も昭和49年に再建。庫裏も新築され景観を整えた。

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