巻1‐(22)木曽川を制した織田信長の城と城跡(10部)

シリーズ・・・その25(17.01.01掲載)

●堂洞城跡(美濃加茂市蜂屋町)加治田城跡(富加町加治田)
【加治田城と堂洞城の配置地図】
堂洞城は美濃加茂市の北西、中蜂屋、下蜂屋から加茂郡富加町多田に及ぶ山城である。一名「堂洞掛上城」とも言った。堂洞城は蜂屋兵庫助頼隆が亨禄年間(1528)に築城したともいわれ、天文、永禄(1532〜1564)のころ、岸勘解由信周が居城し、土岐、斎藤氏に仕えていた。岸勘解由は上有知の鉈尾山城(美濃市北東、標高437メートル)の佐藤将監清信の縁者で佐藤秀胤と称して、父信連のころより堂洞城に居城した。

●加治田城(富加町)佐藤紀伊守は信長と内通の誓書を交す

堂洞城の北、加治田城には佐藤紀伊守、右近右衛門父子が居城していた。永禄8年、その家臣梅村良沢を使者に立て信長に内通の意を伝えてきた。木曽川を自然の要害とするうえ、守備の固い美濃を攻めかねていた信長は、良沢に黄金を与えて佐藤紀伊守父子と誓書を交わし、協力を約束した。


※堂洞城岸親子の供養碑
●信長、念願の美濃攻めを東濃堂洞城より攻める
永禄8(1568)年8月、織田信長は犬山、鵜沼、猿啄を攻めた後、二千余の軍を発して堂洞を攻める。この時、家臣金森長近に命じて、堂洞城の岸勘解由信周に「岸父子は豪傑の武士也、降を請うば大いに用いん」と申し入れたが、「好意はかたじけないが、自分は関城主永井隼人正と約束があり、降伏することはできぬ」と岸勘解由は答えた。金森長近は信周の嫡子孫四郎信房を召してその意中をただした。信房は幼い2人の弟を連れて、その首を刎ねた。そして「私の決心はこの通りでございます。大軍を向けられよ、岸父子の最後の働きをお目にかけましょう」と答えた。金森長近は信長に伝えた。信長は殺すのは惜しいと思ったが、岸父子の決心が変わらない以上は致し方なかった。8月28日、辰の刻(午前8時)、織田、佐藤両軍は堂洞城の多田と蜂屋の両面より攻めかかる。堂洞城の北二の丸を守る信房の10倍の織田両軍が攻めるが、城一番の難攻の場所で破れず、南側の蜂屋へ迂回し攻めたてた。
信房は申の刻(午後4時)まで必死に戦ったが、信長の精鋭にことごとく破られ、たちまち城は孤立してしまった。寄せ手は大軍であり、若い信房は討ち死にした。父信周はさすがに落胆した。すると妻が笑って言った。「戦いで死すのは武士の常でございます。なんで悲しむことがありましょうぞ」。信房の仇を打つには味方は少なく覚悟を決めた夫妻は辞世を詠み、城に火を放って自刃した。岸勘解由辞世の句「待てしばしかたき浪風切りはらひ 極楽の岸」 妻の句「先立つも 暫し残るも同じ道 思えば晴るる 夕暮れの雲」関の長井隼人は、堂洞城危うしとの報に接し、救援に駆け付けたが、織田軍にはばまれて近づくことができず、みすみす岸勘解由を見殺しにした。以後、堂洞城は廃城となった。その夜、信長は加治田城佐藤紀伊守忠能の屋敷を訪ねて泊まった。翌29日朝、城下で首実検をしたが、その後、加治田城、佐藤紀伊守の倅右近右衛門は城西の川浦川で竜興方と合戦になり討ち死にした。信長は後継者にするため斎藤新五郎(道三に追放)を養子に入れた。信長、帰陣する時、斎藤竜興は長井隼人と共に三千余の軍勢で攻め寄せてきた。「武功夜話」ではその場面が次のように細かく記録されている。『陶山(各務原市陶)越えは大島茂平衛案内也。陶道を楽々御越しなされ、たらたら坂降り鏡野(各務原)と言う所、追分け道差し懸り候。鏡野広野広大なり。咄嗟の出来、先手衆不意に引き乱れ。スハ何事なるか不審に候処へ注進あり。美濃斎藤勢、日根野備中守の人数押し出で退路を塞ぎ攻め懸け出る也、加治田、堂洞の備えの為、500ばかり差し残し、御旗本、近衆(600〜800)ばかりの少人数の帰路也。これより追分けにかかりて苧ケ瀬まで10有余町、前方は広野、支え様手立相無し、敵方信長様近々に寄せ来る、御馬廻衆前田又左衛門利家也、黒母衣衆一団と相成り、信長様を守り追い慕う美濃勢を切り払い突き伏せ、一途に苧ケ瀬道を駆け下り候。殿は佐々内蔵助御引き受け申し候。祖父孫九郎(雄吉)前野衆、佐々衆、佐久間信盛一陣となり。潮の湧き出るが如き、日根野の軍勢必死に食下がり。東方の退戦、高名も手柄も外聞も無く逃れ候。美濃勢遂には追い切れず、盛んに後方より悪口雑言を申し候も、この日の中に信長様小牧城へ無事御帰城なり』祖父物語り、南窓庵。背丈の雑草をかき分け堂洞城本丸跡に辿りつく。岸親子の供養碑(高さ1.3メートル、自然石)が佇んでいる=写真。正面「南無阿弥陀仏」、右「永禄八年八月二八日」、左「多田村浅野浅右衛門建之」彼方に太田盆地、猿啄城跡展望台、関城、加治田城跡が冬の西日にかすんで望めた。
※謹賀新年、本年も郷土の歴史を伝えていきたいと思います。ご愛読下さい。(次回は「浮野合戦」、2月5日掲載です)

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